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BRM919宮城1000 ⑤PC4:釜石~PC5:久慈
9/20 12:08、ローソン釜石駅前店(322km地点)に到着。ここで再びNAOさんに追いついた。とっくに先に行っていると思ったが、彼もどこかで寝ていたのだろうか。
ここから先は三陸海岸のステージに入る。アップダウンの続く難ステージ「国道45号」。補給箇所が少ないと聞いていたので、パスタを食べてがっつり補給。お菓子も大量に買い、フロントバッグに詰め込んだ。
PCを出ると間もなく、釜石市役所の前を通り抜ける。ここでギョっとしたのが、市役所庁舎に貼り付けられた看板であった。
「ここまで浸水」
と書かれたその高さは、2階の高さに届こうかというほど。海から近い市役所とは言え、この高さまで来たのかと恐ろしくなった。その先も、「ここから津波浸水区間」「ここまで津波浸水区間」と言う案内標識が道路に立っているのを何度も見た。つい最近設置されたもののようで、まだ新しい。三陸海岸はその地形上、津波を避けることは出来ない。少しでも次回の被害を小さくするための施策ということだろう。
特徴的なのは、一定距離ごとに立っている標識に「前方**m」「後方**m」と書かれていること。最初は何のために距離を書いているのかと思ったが、少し考えて理由がわかった。つまり、「津波警報が出たら、より距離の短い方向へ逃げろ」ということなのだ。リアス式海岸では湾の形によって、浸水する標高も変わってくる。単純に標高が高い場所に逃げただけではアウトになることもある。より助かる可能性が高い方向を示す方法として非常に解りやすい方法だと思った。
参考: 過去の浸水区域一目で 岩手の国道に標識設置
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG27035_X20C12A8CR8000/
1kmほどの長さのある両石トンネルを抜けると、眺望が開けた。リアス式海岸をこの目で見るのは初めて。湾の形がハッキリ見えるほどに小さく、確かにここに津波が来たら恐ろしく高いものとなるであろうことが想像出来た。
大槌湾では、テレビのニュースで何度か見た仮設店舗のファミリーマートを見かけた。地震から一年で設置された店舗らしいが、未だに仮設のままであった。
道の駅やまだ。ここで一旦トイレ休憩。名物「わかめソフトクリーム」を食べたかったが、混んでいたので諦める。
道の駅を出て走り出すと、空がにわかに暗くなり、ポツポツと雨が降ってきた。予報では全く降らない筈だが……と思い、停車して雨雲レーダーを見てみるが、特に雨雲がある様子も無い。そうこうしているうちに、降りは強くなっていく。木陰に雨宿りしていたが、ついに防ぎきれなくなって雨粒が体に降り注いできた。仕方なく、サドルバッグを開けて雨具を取り出す。シューズカバー、レインパンツ、レインジャケットとフル装備。グローブが濡れるのはいやだったので、防水のサドルバッグにしまい、素手で走ることにした。
丘の頂上を越え、ウェットのダウンヒル。今回選んだパナレーサーのグラベルキング26Cはこんな路面でも全く不安は無かった。丘を下りきると雨は弱まり、やがて路面もドライに。完全にゲリラ豪雨だったようだ。この先の空も明るく、雨具は必要なさそう。どこか脱ぐ場所は……
そう思ったところに出現したコインランドリー。なんてタイミングが良いのか。雨具を乾燥機に入れ、200円を投入。20分も乾かせば十分だろうと思い、その隙に目を閉じる。が、残念ながら意識は飛ばずに20分が経ってしまった。若干あった眠気を飛ばしたかったが……仕方ない。雨具をサドルバッグにパッキングしなおして再出発。
津波被害の大きかった宮古の街を抜ける。道路の通り方が地図データと違っているようで、地図上は何も無い場所を走っているように表示される。復興は現在進行形で行われているようだ。
宮古の市街地を抜けて登りに入ったところで、不意に睡魔が襲ってきた。仮眠で合計2時間程度は寝ているとはいえ、やはり疲れてきている。先ほどのコインランドリーでも寝られなかったのが痛かった。どこか寝るところは無いだろうか……確か、この先には「道の駅たろう」があるはずだが、事前調査では17時以降は閉鎖されるはず。野外にベンチでもあればそこで寝ようと思い、先に進む。
道の駅たろうに到着。今回のルート上では、「道の駅やまだ」の次にあるのが「道の駅たろう」……若干の作為を感じないでもない。なお、字は「太郎」ではなく「田老」である。
案の定、道の駅の建物は17時で終わりのようで、既に閉店の準備中という雰囲気。
(仕方ない、トイレだけ済ませて先に進もうか……)
そう思ったところで、道の駅の建物から少し離れた場所にポツンと立つ建物が目に入る。建物の壁には、「たろう津波防災・道路情報」と書かれていた。道の駅によくある情報センターだろうか? 事前の調査では、特にそういうものがあるとは書いていなかったけれど……。建物の中に入ると、テレビが付いていて相撲中継が放送されていた。その隣には国道45号線の道路状況を示す案内板が設置されている。
そして、入口左手に目をやって驚いた。畳だ、畳がある!! 睡魔に絶賛襲われ中の身には、そこが天国に見えた。ランドヌールたちの間では、屋根つきのバス停を「帝国ホテル」と呼ぶことがあるが、屋根つき畳みありのこの場所は「スイートルーム」とでも形容すべきだろうか。
早速、寝ようかと思ったが一瞬躊躇する。隣の道の駅本体の営業時間が17時までだとすると、ここも一体いつ閉まるか解らない。現在時刻は16時半。早ければあと30分ほどで閉まってしまうかも知れない。が、今は何を差し置いても寝たい。閉まるならその時に起こされるだろうし、それまで寝られるだけ寝よう。耳栓をし、ネックウォーマーをアイマスク代わりに装着。30分後にタイマーを設定して眠りに落ちた。
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体をゆすられて目を覚ます。
(ああ、やはり閉館時間か。仕方ない、起きよう。)
係の人が起こしに来たと思い、耳栓とアイマスクを外す。私は度入りのアイウェアを使っており、裸眼ではほとんど何も見えない。アイウェアを装着して、起こした人の顔を見ると、随分と若々しい。あれ、係の人では無いのか……?
「すいません、パンク修理用パッチ持ってませんか?!」
一瞬、理解が出来ずに固まる。パッチ? 彼もブルベ参加者なのか? それにしては反射ベストも着ていないし、そもそも格好がブルベをやる格好ではない。落ち着いて話を聞いてみると、彼は大学生で、八戸から仙台を目指してツーリング中らしい。パンクが連発し、手持ちのチューブも尽きてしまい、絶体絶命。何とかこの道の駅に辿り着いたところで私の自転車を見てこの建物に入ってきたとのことだった。
ふと、携帯に目をやると、アラームが鳴り続けている。時間を見ると、1時間半が経過していた。30分だけ寝るつもりが、畳の気持ちよさに負けて起きられなかったようだ。まだまだタイムアウトまでは余裕があるが、このまま寝過ごしていたらと思うと、起こしてくれた彼には感謝しなければならない。アラームを止めて彼に答える。
「ああ、パッチならありますよ。残念ながら修理してあげる時間は無いけど……」
建物の外に出て、ダウンチューブ下のツール缶を取り出す。確か底のほうにパンク修理用のパッチがあったはず。ツール缶をひっくり返すと、一番下からTOPEAKのパッチが出てきた。6枚つづりのうち2枚を切り取り、彼に差し出す。
「はい、これがパッチ。一応、失敗した時のために予備も付けておきました。」
「ありがとうございます! お代はおいくらですか?」
「いやいや、起こしてくれた御礼です。持ってってください。」
もっと短い距離のツーリングであれば、チューブを上げても良かったが、今は1000kmブルベの途中。いつ予備のチューブが必要になるか解らない。パッチで何とかなってくれたことを願う。
1時間も余計に寝てしまったので、ゆっくりはしていられない。急いで準備をして道の駅を出発する。さすがに長く寝ただけあって完全に睡魔は飛んでおり、スピードも戻ってきた。前を走っている参加者たちを次々にパスし、先を急ぐ。他の参加者のレポートを見ると、この区間は斜度もキツく苦しめられた人が多かったようだが、全く苦しんだ記憶が無い。完全復活で一路、次のPCである久慈を目指す。
19時過ぎに、道の駅たのはた前を通過。所々にテールライトが見える。ここで仮眠している人も多いのだろう。ここから更に標高を上げていく。トンネル脇の道に入ってしばらく登ると、ヘッドランプに照らされた青看板に「閉伊坂峠」の文字。どうやらここが国道45号線の最高地点のようだ。ようやくこれで久慈までダウンヒル……かと思ったが、eTrex30の標高データをみると、この先もしばらくアップダウンは続くようだ。
ダウンヒルに突入。明らかに寒い。気温表示は12度となっているが、ダウンヒルの場合は体感気温が下がる。下っている途中に停まるのは勿体無い気がしたが、路肩に止まってレインウェアを着用。再度ダウンヒルに突入したが、このダウンヒルが思った以上に長い。やはり一枚羽織っておいて正解だったようだ。
下りきると、そこは海。気温も15度付近まで上がっている。やはり海沿いは暖かい。
少し離れたところに明るい場所が見える。あそこがおそらく、次のPC・久慈だ。時計を見ると20:50。これは頑張れば一ネタ出来そうだと思い、少し先を急いだ。
(つづく)