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PBP 2015 本編③Villaines-la-Juhel ~ Fougères(309km)
8/17 3:35、PC1:VILLAINES-la-JUHEL(220km地点)に到着。
なんと1ブルベ(200km)以上を走ってきて初めてのPCである。未だにグロス時速は25kmを超えていた。
まずはブルベカードにチェックを貰わなければならない。どこに行けばよいのかと思い、上を見上げると「CONTROL」の文字。なるほど、こっちか。
指示された建物に入ると、机がいくつか並んでおり、その向こうには紫色のシャツを着たスタッフの方がいた。日本のブルベではコンビニのレシートで通過証明を行うが、PBPでは全てが有人チェックである。
「Bonjour.」
と話しかけ、ブルベカードを差し出す。一人のスタッフが判子を押し、もう一人のスタッフが時間の記入とサインを行う。これでようやく一つ目のチェックが完了ということになる。噂ではかなり並ばされると聞いていたが、前に並んでいたのはたった一人。90時間の部のボリュームゾーンよりも先行しているからだろうか。基本的に、この後もコントロールで長時間待たされることは無かった。
ブルベカードをケースに戻して思ったこと。……重い。PBPではブルベカードの紛失防止のためか、首から下げるブルベカードケースが提供される。私はこの中にブルベカードに加えて、現金・パスポート・クレジットカードを入れていた。特に、ユーロ硬貨がやたら重い。
失くすよりはマシだが、これをここから1000kmも首から下げ続けるのは……と考えたところで、ショルダーバッグのようにタスキ掛けにすることを思いつく。これなら首が疲れない。
コントロールの隣にはバーがあった。行列に並ぶのは嫌だったが、腹も減っていたので仕方なく並ぶ。ドサクサにまぎれてフランス人が列に割り込んできたが、フランス語は挨拶しか出来ないので抗議出来ない。少々頭には来たが、このイベントではこれくらいの強引さも必要なのかもしれないと思った。
塩気のあるものが無かったので、適当にパンを選ぶ。アップルパイ・アップルタルト・ココア。まさかのリンゴ被り。甘い物好きではあるのだが、この組合せは予想外にキツかった。それでも走るためには食べなくてはならない。
食べ終わると、満腹感と食堂の暖かさで眠くなってきた。床には恐らく自分と似た境遇の人たちが転がっているので、それに倣って寝転ぶ。ここで15分の仮眠。PBP最初の仮眠は食堂の床だった。
—–
さて、仮眠で体が冷えたのか、若干腹が痛い。「W.C.」と書かれた矢印に従って歩いていくと、大量の仮設トイレが設置されていた。さて、ここはどんなトイレなのか……事前情報ではフランスのトイレ環境は相当悪いと聞いていた。便座が無いこともあるし、トイレットペーパーが無いことも多いとのことだった。
仮設トイレのドアを開けると、便座とトイレットペーパーは揃っていてホッとする。しかし、日本では基本的にウォシュレット付きの綺麗なトイレばかりを使ってきた自分にとっては、いささか抵抗のあるトイレだった。しかし、なりふり構ってはいられない。ここは日本ではないのだ。慣れなければ、この先1000kmを走りぬくことは出来ない。
こんなこともあろうかと持参したウェットティッシュで便座を丁寧に拭いて着座。フランスのトイレットペーパーは幅が狭いなぁ……などと考えながら用を足した。
—–
自転車に戻って出発準備。外気温は10度まで下がっており、たまらずウインドブレーカーを着込み、その上から反射ベストを着る。なんとかこれで寒さには耐えられそうだ。
フランスの夜明けは遅く、空が白んでくるのは6時を過ぎてから。明るくなるまではヘルメットライトを点けていたが、時折視界が悪くなることがあった。最初は砂埃かと思ったが、どうやら朝霧らしい。ヘルメットライトの場合、目の前の霧に光が反射して極端に視界が悪くなるのだ。
ライトのスイッチを切ると、明け方の草原に霧が立ち込めている光景が目に飛び込んできた。初めて体験するフランスの夜明けに言い知れぬ感動を覚えたのだった。
夜が開け切った辺りで、HERCEという街に入った。ここに至るまでもコース脇に自転車のオブジェを多く見かけたが、この街はオブジェの数が特に多い。一際目を引く巨人と巨大自転車のオブジェの前で記念撮影。このオブジェの説明文によると、どうやら今年のツールドフランスを記念して作られたもののようだ。
後から知ったことだが、2015年のツールの第7ステージ残り20kmでこの街を通過している。そして、この街から次のPCであるFOUGERESまでは、PBPとツールは全く同じコースである。ちなみにその第7ステージは、ツールでは「平坦ステージ」扱いであり、優勝したのはカヴェンディッシュである。結構アップダウンはあるのだが、プロにとってはアップダウンに入らないらしい。
更に調べてみると、2011年もPBPとツールのコースは重複している(CARHAIX付近)。PBPの年にツールとコースが重複するのは単なる偶然か?と思ったが、ここで一人の人物の名前が浮上する。ベルナール・イノー氏である。
ツールドフランスで5度のマイヨジョーヌに輝いたイノー氏は、現在はツールを運営するASOでコース設計にもかかわっている。一方、PBPの後援者一覧ページにはイノー氏の名前がある。彼の出身は折り返し地点のBREST近くで、2011年にはPBP開会の挨拶もしていたらしい。
推測の域を出るものではないが、PBPとツールのコースの重複はイノー氏からのささやかな贈り物なのかもしれない。
若干、補給が足りていなかったため、私設エイドに立ち寄る。ケーキと水を頂いた。この辺りはオブジェだけではなく私設エイドも多かった。やはり自転車好きの人が多いのだろうか。
FOUGERESの街が近づいてくると、にわかに都会らしくなってくる。信号を見たのはいつ以来だろうか。建物も大きく、実に立派な街だ。
街の中心部に降りていく坂の途中で、見覚えのある看板が目に入る。「McDonalds」…マクドナルドだ!! スタート以来、ずっと甘いものばかり食べてきていたので、強烈にマクドナルドのハンバーガーが食べたくなった。
(よし、ビッグマックを食べるぞ!)
と思ってGPSを見ると、コースはマクドナルドとは別の方向を指していた。この時点では集団に入っていたので急に止まるのも危ない。泣く泣くマクドナルドを見送ることにしたのだった。