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PBP2019: 本編⑫ Loudéac~Quédillac(843km)
日付変わって、8/21 2:10、PC8: Loudeac(783km地点)に到着。
このPCは珍しく撮った写真が一枚もない。一刻も早く寝たかったのだと思う。往路ではブルベカードにチェックをもらうのすら忘れて仮眠所へ行ってしまったが、今回は忘れずにControlへ。
そして流れるようにドロップバッグを受け取り。ここから妻とは別行動。
「4時半に出発するから4時15分にここ集合で!」
現在の気温は10度前後。常識的な順番で行けば、シャワー→仮眠だが、この気温でシャワーを浴びたら湯冷めしそうだ。これは着替えて寝るだけにするか……とは思ったものの、着替えられる場所はシャワーの脱衣所しか無い。それだけのために4ユーロを払うのは少々もったいないが、仕方ないだろう。
脱衣所に入ると、kuroさんがいた。彼に今回作ってもらったブルベカードホルダーは非常に軽く、防水性能もしっかりしている。その感想を伝えつつ雑談をしていたら、そのままシャワーを浴びていた。なんだかんだで1日ぶりのシャワーは素晴らしく気持ちよかった。
身体をよく拭き、皮膚保護クリーム・プロテクトJ1を入念に臀部に塗布。そして、新しいウェアに着替えた。恐らく冷えるだろうことが予想されたので、更にレインウェアも着ておくことにした。
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仮眠所へ行き、まずは受付。Loudeacの仮眠所受付は何故か2箇所受付が合った。赤の受付と緑の受付。日清のカップうどんのような区分けだ。往路は赤の受付を選択したが、復路は緑の受付を選択してみた。起床時間は4:00を選択。スタッフの方に連れられて、仮眠所である体育館の中へ。深夜ということもあり、居並ぶコットはほぼ全て埋まっている。そしてイビキの大合唱。これは寝るのが大変そうだ。
「君の寝床はここだ」と、指示されたのは、体育館で一番端のコットだった。受付を変えたのでマットが割り当てられるのではないかと期待していたが、そんなことは無かったらしい。それよりも困ったのは、コットの上に置いてあるのが毛布ではなく、薄いタオルケットであったことである。
この写真の手前3つのコットに乗っている茶色の毛布は、結構な厚みがあって断熱性があった。しかし、写真の手前から2列目の一番右にあるコットには、タオルケットが乗っていることが分かる。このタオルケット、見るからに断熱性がない。スタッフの方に毛布との交換を申し出ようとしたが、さっさと彼は引き上げてしまった。どうやらこれで寝るしか無いらしい。
往路の教訓を活かし、コットの下から上がってくる冷気を防ぐためにタオルケットを身体に巻く。これで何とか冷気が防げると良いのだが……。
アイマスクと耳栓を装着し、いざ睡眠。さすがに疲れていたので、割とすぐに意識は落ちた。
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身体の震えで目を覚ます。案の定、タオルケットでは防寒の役割を果たさなかったらしい。スマホで時間を確認するとまだ30分ほどしか経っていない。貴重な睡眠時間を通して取れなかったという事実にイラっとするが、何とか防寒方法を考える必要がある。
ここで思い出したのが、サドルバッグに入れていたレスキューシートの存在。Fougeresの仮眠所の受付で貰ったものの、その時間帯は特に寒くなかったので使用せずにそのまま持っていたのだった。すっかり存在を忘れていたが、これがあれば寒さは凌げそうだ。カサカサと音は出てしまうが、周りはイビキの大合唱。もはや気にすることもあるまい。レスキューシートを広げて、その中に包まる。
……これは暖かい!!
レスキューシートを使うのは前回のPBPぶりだが、ここまで暖かいものだったか。
何とかここから二度目の睡眠開始。既に起床予定時間までは40分ほどしか無かった。
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二度目の目覚め。あまり深く眠れなかったようで、疲れはほとんど取れていない。ここに来ての睡眠失敗はかなり手痛い。
出来ればもう少し寝ておきたい所だが、妻には既に集合時間を伝えてしまっている。変更は難しい。一人で走ればこの辺りの調整は柔軟に行えるが、複数人で走るとなるとそうも行かない。寝坊のリスクは少なくなるが、計画の柔軟性は下がる。やはり、複数人で走るのは難しいことを痛感した。
諦めて準備をし、仮眠所から外に出る。かなり寒い。
ドロップバッグ置き場の前で妻と合流。妻はしっかりと眠れたようだ。野外の芝生でも寝られる能力を修得(?)した妻。寒いとは言え、ちゃんとした仮眠所で寝るのは容易なことであったようだ。それに比べて自分は少しでも環境が悪いと寝付けないし、すぐに目が覚めてしまう。
考えてみれば、ここ数年のブルベでは基本的にホテルでしか寝たことがない。外で寝たのは、宗谷岬600で昼間のベンチで寝たことくらい。宗谷岬600はホテルのない場所で深夜を迎えるため、主催が学校の体育館を借り、仮眠所として提供してくれる。しかし、この時も仮眠所で何度も目が覚めてよく眠ることが出来なかった。それで昼間に眠気を飛ばすため、公園のベンチで寝ることになった。
「整った環境で無いと眠ることが出来ない」というのは、ランドヌールとしては結構な弱点かもしれない。日本のブルベでは、慣例的に600km以上のブルベでは深夜を迎えるであろう時間帯にホテルのある地域を通るようなルートが引かれることが多い。しかし、海外のブルベではそんな慣例は恐らく存在しない。PBPや宗谷岬600のように、簡易な仮眠所が用意されるケースはよくあるようだが、本来ランドヌールにはそういった環境で眠る能力が要求されるということになる。
私にはその能力が足りていなかった。
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4:22、Loudeacを出発。準備は割とスムーズに進み、集合から10分ほどでリスタートを切ることが出来た。しかし、身体は重い。眠気が完全に抜けていないのを感じる。これはもう一度どこかで睡眠を取らないとならないだろう。
それに対する焦りからか、この区間はとにかく私の機嫌が悪かった。自分でも何にそんなにイライラしているのか分からないが、とにかくイライラしていた。
加えて、この区間はとにかく寒かった。明け方のこの時間は気温が更に下がり、サイコンに表示される気温は6度。ここまでの3回の夜明けでもっとも寒かった。4日目にこの寒さは身体に堪えた。
Meneacの街に差し掛かった頃、不意に強い眠気が襲ってきた。このまま走り続けるのは不味い。その辺でも良いから寝なければ――。妻が山で寝たいと言い出した時には「嘘だろ?」と思ったが、今なら分かる。眠れるならば地べたでも寝たい。しかし、やはり地べたで寝るのはどうしても抵抗が……
そんなことを考えていた所、路肩にあった物体が目に入った。ベンチだ! フランスの街はバス停でも無いのに不意にベンチが置いてあることがある。
「止まるよ!」
と妻に言い、停止。妻には「寝るから先に行ってて。後から追いかける」と言ったが、「私も寝る」とのこと。
気温6度。果たして眠れるか分からないが、フロントバッグに入れていたレスキューシートを取り出して身体に巻き付け、ベンチに横たわる。のび太もびっくりの速度で意識が落ちた。
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しばらくして目が覚めた。タイマーすら仕掛けずに寝てしまったが、スマホの時計を見ると20分ほど寝ていたらしい。妻を起こし、リスタートの準備を始める。
何とか動き出すが、一桁気温の野外で寝た影響は大きい。筋肉がガチガチに固まっているのが分かる。やはりLoudeacでもう少し長く寝ておくべきだったが、今それを言っても始まらない。少しでも先に進む。
起きてから8kmほど進むと、illifaut(イフォー)の街に入った。ここで大きめの私設エイドを発見。地獄に仏とばかりに寄っていくことにした。多くの私設エイドは無料だが、ここは全ての商品に値段が付いていた。その分、他の私設エイドよりもしっかりした食べ物が売っている。テント脇のバーベキューコンロで焼かれたウインナーが美味そうだったので、ウインナー入りサンドイッチとホットチョコレートを注文した。
注文した品を受け取り、バーベキューコンロの前で暖を取りながら食べる。……美味い! 腹の中に広がる熱。身体に染み渡るカロリー。同時にイライラが鎮まっていくのも分かった。イライラの原因は眠気もあったが、カロリーの不足が最大の原因だったらしい。そういえば、Loudeacではほとんど何も食べずに出てきてしまった。本当に全ての歯車が狂っていたことがよく分かる。
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お腹もいっぱいになってリスタート。機嫌は良くなったが、代わりに襲ってきたのは再度の眠気。次に仮眠所が設置されているQuedillacまでの距離は20km。そこまで持つだろうか? そんなことを考えていると、妻からこんな提案があった。
「先行して仮眠所で寝たら?
心拍を上げれば少しは眠気が飛ぶはずだし、寒さも和らぐはず。
私はLoudeacで少しは寝られたのでもう少しは持つはず。」
非常に有り難い提案である。実のところ、妻のペースに合わせて走るのは私にとっては運動強度が低すぎる。心拍は常に100bpm前後。この寒さの中でこの心拍は眠くなる上に、とにかく体温が上がらず寒い。長い付き合いの妻もそこは分かっている。辛そうにしていた私を見て、このような提案をしてくれたのだ。
「ありがとう、そうさせてもらう!
とりあえず次のQuedillacで1時間半寝るので先に行ってて。
後から必ず追いつくので!」
そう言い残し、ペースを一気に上げた。心拍数と共に体温が上がり、眠気も飛んでいく。妻の提案は実に的確だった。
メーター上の距離はどんどん増え、Quedillacまでの距離は近づいて行く。それなりにアップダウンはあったものの、この区間をグロス時速23km/hという速度で駆け抜けた。