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PBP2023: 本編⑭ PC11:Villaines-la-Juhel~PC12:Mortagne-au-Perche(1101km)

最後から3番目のPC、ヴィレンヌに到着。ここはお祭り騒ぎのPCとして有名です。
PC11:Villaines-la-Juhel~PC12:Mortagne-au-Perche(1101km)
8/23 18:13、PC11:Villaines-la-Juhel(1020km地点)に到着。貯金は1時間56分に拡大しました。
こちらのPCは道の両サイドにPCがあるという構造なので、入口はツール・ド・フランスのゴール地点のような配置になっています。
迎えてくれる方も多く、「PBP参加者の凱旋門」とも呼ばれています。MCによるアナウンスも大音量で流れており、多分センサーを通過した人の名前を読み上げてくれています(自分の名前は聞き取れませんでしたが)。
PC11、到着
さて、走行距離が4桁に乗りました。
ロングライドにおいて、1000kmは数字の境目でもありますが、不思議と身体や機材に異常が出てくる距離でもあります。
今回は身体も機材も大して異常なし。足裏がちょっと痛くなってきたくらいでしょうか。でもあと200kmなら持つでしょう。
日本語を話すドイツ人(シンガポール在住)との遭遇
駐輪場に自転車を置き、コントロールへ直行。
すると、前方から異様にガタイの良い欧米人男性が歩いてきました。効果音を付けるならば「のっしのっし」と言った所。
自転車乗りは下半身こそ筋肉質であることが多いものの、上半身は細いのが普通。しかし、目の前にいる男性はジャージの上からでも分かるほどに盛り上がった胸筋と上腕二頭筋。まるでボディービルダーです。
そして、私はこの人に見覚えがありました。
PBP開催の1ヶ月ほど前、FacebookのPBPコミュニティである質問に答えた所、それに対してこんなリプライを返してきた人がいました。
「By the way I saw that you are living in Kawasaki.
I used to go every week to that Italian tabehodai restaurant in the shopping mall next to Kawasaki station .」
要約すると、「川崎駅に直結したショッピングモール(ラゾーナ川崎)にある食べ放題のレストランによく行っていた」という内容。いきなり川崎地元トーク開始。PBPコミュニティなのに。ていうか食べ放題の英訳ってTabehodaiなんだ。
そして、このリプライを返してきたのがアンドレさんというドイツ人の方でした。
このアンドレさん、30年前から20年間も横浜に住んでいたんだとか。私より神奈川県民歴が長い。現在はシンガポール在住で、自転車に乗りつつボディービルコンテストにも出ているという異色の方。
偶然にもアンドレさんは私と同じLグループのスタートということで、「どこかで会えたらいいですね」と話していたのでした。
(日本語)
(日本語)
Facebookでラゾーナ川崎の話をした川崎在住の者です。
残念ですが、あの食べ放題レストランはもう閉店しちゃったみたいですよ。
ロティサリーチキン(鳥の丸焼き)、美味しかったのに。
ワタシ、心配……
聞けばアンドレさんはこの暑さで足を攣ってしまい、何度かリタイヤしようかと思いつつここまで来た様子。
ただ、現時点で残りは200km、残り時間は18時間半。普通に考えればまず安全圏なタイムです。「大丈夫ですよ!」とお伝えして、アンドレさんとはお別れ。コントロールでブルベカードにスタンプを貰いました。
しかし、10000km離れたフランスの地で、ドイツ人とラゾーナ川崎のレストランの話をすることになろうとは。不思議なこともあるものです。
予定変更、あえて寝るッ!
さて、当初の予定では次のPCであるモルターニュで仮眠する予定でした。
しかし、ヴィレンヌまでの道のりで「ちょっとそれは不味いのではないか?」と考え始めました。
当初予定していた、1日毎の走行距離は以下です。
この通りに今からモルターニュまで走ると、4日目の走行距離が全体で一番長くなってしまいます。
PBPをどう捉えるかは人それぞれで、「400km×3」「300km×4」のどちらかで表現されることが多いと思います。
ただ、私は均等割するのは違うんじゃないかと思っていまして。後に行くほど1日の走行距離は減る方が適切ではないか?と。人間は疲れる生き物ですからね。
PBPでは1日目が夜スタートなので走行距離は短くなります。そして、折返しを含む3日目はクローズ時間をクリアするために距離は長めになるのは仕方ない。
となると、3日目を頂点とした山のように走行距離が分布するのが、身体への負荷から見ると適切な気がします。「200-250-300-250-200km」みたいな5分割が良いのではないか、ということですね。
そこで、今いるヴィレンヌで一度睡眠休憩を入れた場合の距離の分布が以下です。
これだと、4日目は236kmと短めで済みます。
私はルデアックで睡眠時間を十分取れましたが、妻はちょっと短めではありました。ラスト200kmでガクッと調子を落とさないためにも、4日目は236kmに押さえたほうが得策――そう思い至り、ここヴィレンヌで睡眠休憩を前倒しで取得することにしました。外はまだ明るいんですが、あえて寝ます。
この終盤で仮眠場所を組み替えるのは結構大きな変更なんですが、手元に計画表があったので計算は容易でした。やはり計画をちゃんと作っておくと後から変更が入っても柔軟に対応できますね。
ここでクローズから1時間くらいはみ出して寝ても、次のモルターニュ(81km先)にはクローズまでに到着できるはずです。
まずはシャワー
寝ると決まったら、その前にシャワーです。
ヴィレンヌのシャワーはちょっと遠い場所にあります。敷地の一番南。
建物には「Dojo」の文字。さっきは「Tabehodai」だし、こっちは「Dojo」だし、意外と世界で共通語化してる日本語はあるんだなぁ……と思ったり。
ヴィレンヌのPCの南半分は中学校です(北半分は町役場)。フランスでは柔道が人気の競技ということで、割と中学校には道場が完備されているようですね。その道場のシャワーがPBP参加者に向けて開放されているということになります。
受付で4ユーロ(5ユーロだったかもしれない)を支払ってタオルを受け取りました。
おおっ、ここのタオルは起毛しているちゃんとしたバスタオルでした。これは嬉しい。
ここのシャワーは使う人も少ないのか、私の他には先客が1人だけ。シャワーは個室と集団用がありました。
最初、集団用シャワーを使ってみたものの水の勢いが弱い。それに対して、隣の個室シャワーは水の勢いが強そうな音がします。
先客が個室シャワーを使い終えて出てきたので、入れ替わりで利用。なんとなくプライベート空間でのシャワーは開放感があるものです。ここもシャワーは天井固定ではありましたが、股間部を中心にしっかりと洗浄しました。
シャワーを浴び終えて脱衣所に戻ると、そこにはmorouさんが。morouさんも道中一番お会いした1人ですが、まさかシャワーで会うとは。「ここは個室のシャワーの方が水の勢いが強くてオススメですよ!」と謎のアドバイスをお送りしました。
シャワー横には綺麗なトイレ(便座あり)もあったので、ありがたく利用。並ばないで使える綺麗なトイレは有り難い。
ただし、結構な便秘気味。繊維質はしっかり取っていたつもりですが、それでもなお野菜不足だったかもしれません。どのPCでも売っていたバナナをもう少し食べておくべきでした。
仮眠所へ
時刻はそろそろ19時。
ようやく一番暑い時間帯は終わりましたが、まだまだ日差しは明るい。ただ、シャワーを浴びた効果で良い具合に眠気が出てきました。
往路でも利用した仮眠所の申込場所へ行って5ユーロを支払い。21:00に起こしてもらうことにしました。
こちらのPCでの仮眠所の案内役は、伝統的(?)に地元のお子さんがやっている様子。往路も深夜なのに中学生くらいの子が案内してくれました。なんでも、英語教育の一貫だそうで、彼らはフランス語ではなく英語を喋ってくれます。
案内されたのは往路とは別の建物。ヴィレンヌは仮眠所となる建物がいくつかあるようです。
案内されたマットに寝て、妻に方針転換のメールを書きました。
「今日はモルターニュまでは行かずにヴィレンヌで寝てラストアタックを賭けようかなと思ってます。
モルターニュまでいくと今日の距離が300kmを超えるので厳しいかなと。
ヴィレンヌの仮眠所は一度使ったから勝手がわかるだろうし。
21:00に仮眠所の受付の建物前で集合でお願いします。」
妻も往路でヴィレンヌの仮眠所を使用しているので、恐らくはスムーズに入眠まで行けるはず。
メールを送って寝ようとすると、morouさんが仮眠所に入ってきました。よく会いますね!
腹巻きをアイマスク代わりに目に乗せて就寝。2時間弱は眠れそうです。
起床、リスタート
20:50、スマートウォッチの振動アラームで起床。
起きると、morouさんを含めて他の人は全員いなくなっていました。結構埋まってたはずなんですけどね。おかげで物音を気にせずリスタート準備が出来ます。
トラッキングサイトを見ると、妻も19時半にはヴィレンヌに到着した様子。そのまま仮眠所に入って寝られたようです。Good。
外のベンチで妻を待機。しばらく待つと妻が現れました。とりあえず故障や痛い所はない様子。あと200km、行けそうです。
心配された雨もまだ降り出していませんでした。レインウェアはまだ来なくても良さそうですが、すぐに日が暮れるので反射ベストは着用。
21:08、駐輪場から自転車を出してリスタート。盛り上がるヴィレンヌを後にします。
最後の夜戦開始
21時過ぎの出発ということで、あっという間に日が暮れて夜に。最後の夜戦開始です。
ここからゴールまでは妻と帯同。残り200kmを15時間40分。余裕は十分ですが、前回はここからトラブルが出ました。気を緩めずに行きます。
ヴィレンヌから坂を一つ越えると、Sougé-le-Ganelonという街に向けて約4kmの登り。前回はここで非常に足裏が痛かったことを不意に思い出しました。今回も足裏は少し痛いですが、それほどではありません。
Sougé-le-Ganelonから先は前回とちょっとルートが変わります。
2019年はMamers(マメール)という街を通るルートでしたが、今回はAlençon(アランソン)という大きい街を通るルートに変更されています。
アランソンは久々に信号のある街。気がついたら後ろにいたはずの妻がいなかったのでしばし待機。間もなく追いついてきました。信号に引っかかったそうです。日本ではよくあることなんですが、フランスでは初めてのことだったかもしれません。
私設エイドと思いきや……
アランソンの次の街であるVilleneuve-en-Perseigneに入ると、大きめの私設エイドが。ヴィレンヌから50km、そろそろ飲み物が切れてきたので水を補充したかったのでした。
店のようなカウンターが出ていたので、そちらでコーラと水を購入。コーラを飲みながら目の前の建物を見上げると……おや?
建物の入口には自転車のイラスト。あれ、ここってもしかして寄りたいと思っていた「自転車の博物館」なのでは……?
中に入れるようだったので入ってみると、やはりここが「The Beautiful Escape」という名前の自転車博物館のようです。
奥の展示はバリケードがあって見ることは出来ませんでしたが、雰囲気だけは味わうことが出来ました。なんという僥倖。トイレも貸してくれるということで、ありがたく使わせて頂きました。
4年に1度の一大イベントということで、私設エイド的なことをやってくれているのでしょう。お世話になりました。
魔の山・モルターニュ
さて、この後に控えるのはモルターニュまでの登りです。PCまでの残り3km、PBPコースでは珍しい長めのヒルクライム。
前回はここで決定的なトラブルが発生しました。

残量の少ないライトが消える前に坂を登りきろうとガシガシ踏んでアキレス腱が死亡。以後、まともにペダリングができなくなり、タイムアウトとなりました。後から振り返ると、フランスで充電する時に使用したコンセントのアダプタに問題があったのではないかと思っています。
しかし今回はライトの電池切れ対策は万全。
国内で全てのバッテリーを充電し、電圧まで全て測定した状態で渡仏しました。
ライトも下記の3本体制。
- ハンドル上(右側): CATEYE「VOLT800 NEO」
- ハンドル上(左側): CATEYE「VOLT800」
- ブレーキ上: CATEYE「URBAN2」
「同じライトで固めると、同じ原因で全滅する」という学びから、あえて違う種類のライトを3個用意しました。
かくして、ここまでライトのトラブルは一切なし。対策の方向性は間違っていなかったようです。
しかし、このモルターニュまでの登りは何らかイヤーな雰囲気を感じるんですよね。私は霊感はないですし、この地域の歴史的経緯も知りませんが。
真っ暗だけど、それだけではなく……「何か起こる」、そんな気配があります。
覚悟を決めてクライム開始。何となく不安なので、後ろにいる妻に話しかけて気分を変えようとしました。
「しっかし今回のPBPは暑すぎだね。
勉強会で”寒くなる”ってあれほど強調したのは失敗だったなぁ……」
しかしそれに対して返ってきたのは……
「そうですね、全然違いましたね!
さっきレインジャケット着たけど暑すぎるので脱ごうと思ってます!」
男性の声でした。振り向くと、33のひとさんの姿が。妻はそれより10mくらい後ろにいました。話しかける相手を間違えた。しばらく雑談した後、彼は先に登っていきました。
魔の山を登りきり、モルターニュの街に突入。これで4年前の呪縛を一つ葬りました。ありがとう、VOLT800 NEO……。
次の角を曲がればPCですが……眼の前にそびえる激坂。そうだった、往路でモルターニュを出たときに激坂を下ったのでした。
最後の坂をダンシングでクリアし、PCへとなだれ込みました。
