キャノボルートと東海道五十七次

  • 2020年4月27日
  • 2020年4月28日
  • コラム
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東京大阪キャノンボールでは、主に国道1号線を走ります。そして、国道1号線は、かつて東海道と呼ばれた街道をベースにしています。

2010年に大阪→東京キャノンボールを達成するまでは、特に「街道」に興味はなかったのですが、その後何度となくこの道を走るうちに、東海道にも興味が湧き、色々と調べるようになりました。

本記事では、キャノボルートとかつての東海道の関係について書いていこうと思います。

キャノボルートと旧東海道

まずは、かつての東海道と、現在のキャノボルート(国道1号線ベース)を比較してみます。

ルートを比較

旧東海道とキャノボルートを重ね合わせた地図を以下に示します。

オレンジ色の線が「旧・東海道」、青色の線が「キャノボルート(当サイトの主ルート)」です。キャノボルートは、国道1号線をベースに、自転車が通れない場所を迂回したルートになっています。旧東海道のルートは、下記の本を参照して引きました(なかなか大仕事だった)。

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細かい部分では異なっていますが、ほぼ重なっていることが分かります。国道1号線が、旧東海道に沿って作られたということがよく分かりますね。

相違点

大きく違う場所をピックアップすると、以下の通りになります。

・日本橋~横浜間
 → 旧東海道はほぼ現在の国道15号線
・箱根
 → 旧東海道は箱根旧道経由
 → 第一の関所(箱根関所)あり
・富士市街
 → 旧東海道は富士川橋経由
・由比周辺
 → 旧東海道は薩埵峠経由
・浜松周辺
 → 旧東海道は現在の浜松市街を経由
・浜名湖
 → 舞阪~新居間は渡し船(今切の渡し)
→ 第二の関所(新居関所)あり

・名古屋周辺
 → 宮~桑名間は渡し船(七里の渡し)
防衛上や工事上の理由から、関所と渡し船が多かったことが分かります。
名古屋周辺は約20kmもの間を船で渡るルートでした。江戸時代の前半には、名古屋~桑名に掛けて、現在の国道1号線のあたりまでが海だったそうです。干拓を行い、江戸時代後半には、現在の国道23号線あたりまで陸地になったとのこと。
また、現在でもよく台風で通行止めになる由比エリアは、昔から難所だった様子。崖が海のすぐ近くまでせり出しているので、崖崩れに悩まされていたようです。

京都?大阪?

ただ、上の地図を見てこう思う方もいるかもしれません。

「旧・東海道って、東京-大阪じゃなく、東京-京都では?」

確かに、「東海道五十三次」は、東京(日本橋)~京都(三条大橋)までを指します。ただ、実は江戸時代の東海道は「東海道五十七次」だったという説があります。こちらは、東京(日本橋)~大阪(高麗橋)までを指すものです。

五十三次の方が有名なのは、歌川広重の浮世絵シリーズ「東海道五十三次」や、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の影響だと言われています。特に東海道中膝栗毛は、今でいうオタク文化の「聖地巡礼」のようなもので、多くの人が弥次喜多になりきって江戸から伊勢・京都まで旅をしたんだとか。

東海道五十七次

「東海道五十三次」の「53」は宿場町の数を指します。最初の宿場町「品川宿」から、京都・三条大橋の一つ前の宿場町「大津宿」まで、53箇所。

そして、「東海道五十七次」は、大津宿の後、「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」「守口宿」の4宿を加えたものを指します(参考: Wikipedia)。ルート的には、京都の山科駅前あたりから分岐し、ほぼ淀川に沿って南下。梅田よりやや南東にある「高麗橋」という橋で終点を迎えます。この、山科~高麗橋の区間を「京街道」と呼ぶこともあります。京都の中心部を避けていますが、これは参勤交代の際に朝廷との接触を避ける意味があったとか。京都の中心部を避けるルートとしては、当サイトで紹介している下記のルートとよく似ています。

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幕府的には、「東海道」を「江戸~大阪(当時は大坂表記)」間の街道として整備していたのですが、前述の通り京都行きの方がルートとして人気があり、そちらの方がメジャーになったようです。

現在のキャノボルートは、そういった意味で、「東海道五十七次を巡る旅」になっているとも言えます。

大和街道

もう一つ、キャノボルートと街道の話を。

現在のキャノボでは、関宿から分岐し、伊賀を経由して大阪に至る「伊賀越えルート」が主流になっています。こちらのルートは京都を経由するよりも20kmほど短くなり、タイム的に有利であることから、近年はこちらのルートを選択することが当たり前になりました。

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実は、このルートは古代の東海道だったとする説があります。

三重県の運営する「歴史の情報蔵」というサイトには以下の記載があります。

交通路としての東海道は、滋賀県・近江国から鈴鹿峠を越え伊勢国に入り、関・亀山を経て、四日市・桑名を通り、愛知県・尾張国へ通じる、現在の国道1号のルートがこれに当たることはよく知られています。しかし、奈良時代には、都から東への幹線道路は、大和から木津川を遡り、伊賀国を経て加太の峠を越え伊勢に入る、一般に大和街道と呼ばれる道筋で、おそらく伊勢神宮に下る奈良時代の斎王たちも、この道を通ったと思われます。

しかし、794年、それまで奈良にあった都が京都に移ります。そのタイミングで、京都に向かう道が「東海道」に変更されたようですね。

2010年頃になって「発見された」と思っていた新ルートが、実は昔々の東海道だったというのは中々面白い話だと思います。

ちなみに、その頃の東海道は、神奈川県を現在の国道246号線に近い形で抜けていたそうです(参考: はまれぽ)。近年人気の246ルートも、実は昔々のメインストリートだった可能性があります。

東海道の名所

最後に、かつての東海道の名所を紹介します。

日本橋

おなじみ、東海道の起点である日本橋。現在掛かっている橋は19代目の橋だそうです。よく火事で焼け落ちたんだとか。

箱根関所

東海道、第一の関所にして、国内最大の関所です。幕府は鉄砲を関東に持ち込まれること、人質として江戸に置かれていた大名の妻が逃げ出すことを恐れ、かなり厳しい警備を敷いていたようです。

薩埵峠

歌川広重「東海道五十三次」の浮世絵にも出てくる薩埵峠。入り口の斜度が約20%あり、短いけれどかなりキツイ峠です。

新居関所

東海道、第二の関所。今でも立派な門が残っています。

七里の渡し

宮宿~桑名宿の間の伊勢湾を船で渡った「七里の渡し」の跡地です。この写真は宮宿側となります。

関宿

東海道の宿場町の中で、もっとも江戸時代の情緒を残しているのが関宿です。実は若干、国道1号線よりもショートカットになります。人通りはあるのでスピードには注意。

石部宿

石部宿には、東海道五十三次の図が置かれています。この写真を撮った時は東京から走ってきたのですが、それまでの道のりを振り返ることが出来ました。

三条大橋

東海道五十三次の終点、三条大橋のたもとには、東海道中膝栗毛の主人公、弥次喜多の像があります。

高麗橋

東海道五十七次の終点、高麗橋。三条大橋に比べるとかなり小さな橋ですが、かつての元標跡が残っています。

まとめ

キャノボルートと、東海道のあまり知られていない関連性について書いてきました。

今回取り上げたのは「京街道」「大和街道」あたりですが、割とショートカットルートが旧東海道になっているケースは多いのです。横道に逸れたところで旧東海道の史跡を見つけるとちょっと嬉しくなりますね。キャノボ中はそんな余裕は無いんですが……。

キャノボで東海道に興味を持った方がいれば、その観点からもう一度ゆっくり東海道を走ってみると色々と発見があると思います。私もそのうち、フルで旧東海道を走ってみたいと思っています(一部は自転車では走れないので、そこは回避)。

著者情報

年齢: 35歳 (執筆時)
身長: 176cm / 体重: 82kg
自転車歴: 2009年~
年間走行距離: 10000~15000km
ライドスタイル: ロングライド, ブルベ, ファストラン, 通勤
普段乗る自転車: QUARK ロードバイク(スチール), GIANT ESCAPE RX(アルミ)
私のベスト自転車: LAPIERRE XELIUS(カーボン)

# 乗り手の体格や用途によって同じパーツでも評価は変わると考えているため、参考情報として掲載しています。
# 掲載項目は、road.ccを参考にさせて頂きました。