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なぜ1970年代の東京大阪TTは日本橋スタートではないのか?
古くは1960年代から行われていた「東京大阪タイムトライアル」。
国道1号線を走破することを基準としている人が多かったはずですが、東京側は1号線の始点である「日本橋」ではなく、別の場所を指定している人しかいませんでした。
本記事ではその理由に迫ります。
まえがき
最近、改めて「東京大阪タイムトライアル」の歴史を詳しく調査しています。
実は12月頃に調査レポートを発表することになりまして、その準備としてさらに詳細な歴史を調べ直しているというわけです。
東京大阪タイムトライアルの調査
前回の調査は2016年から2017年に掛けて行いました。
たまたま訪れた自転車店の店主さんが「初めて東京大阪間を自転車で24時間以内に走った」人だったという運命の出会いがあり、そこから調査が始まりました。
1970年にこの店主さん(藤田さん)の「東京→大阪 23時間07分」という挑戦が当時の自転車雑誌に掲載され、それを見た読者がその記録更新に挑戦する形で「東京大阪タイムトライアル」は1982年頃まで盛り上がりを見せました。
私はその記録更新の当事者の元を訪ねてインタビューを行い、記事化しました。その記事はこちらのカテゴリに纏めています。
再調査を始める
そして今年。とある所から、この東京大阪タイムトライアルの歴史についての調査発表の依頼がありました。
改めて歴史をまとめた資料を作り始めると、色々と気になることが出てきてしまいました。そこで、先述の「初代キャノンボーラー」である藤田さんに再度お話を聞きに伺うことになりました。
伺ったのは、川越にあるスポーツ自転車店「レーシングスポーツフジタ」。藤田さんのお店です。元々はデッドストックのバーテープを探しに伺ったんですが、こうして何度も伺うことになるとは思いませんでした。
なぜ藤田さんは国道15号線を使わなかったのか
気になっていたことの一つが、「藤田さんはなぜ国道15号線を使わなかったのか」という点です。
国道15号線は、東京から横浜まで伸びている国道で、旧東海道です。それを使わず、藤田さんは国道1号線を使っていました。
この地図で、青い線が国道15号、赤い線が国道1号です。
距離的には国道15号のほうが1kmほど短く、獲得標高も60mほど少なくなります。今走っても分かりますが、国道1号線の東京→横浜って何度も坂を登ったり下ったりするんですよね。それに比べると、国道15号線は平坦です。わざわざ国道1号を使う理由がわからない。
それについて藤田さんに質問すると意外な答えが返ってきました。
1970年当時は第一京浜(国道15号)って自転車通行禁止の区間があったんです。
それこそ、日本橋も自転車が通れなかったんですよ。
ゴールが国道1号線の終点(梅田新道)なのに、何故スタートが皇居前なのか疑問に思いませんでしたか?
あれは、日本橋が自転車で通れなかったからです。通れたら日本橋スタートにしてますよ。
日本橋が自転車通行禁止!?
この藤田さんの言葉には驚きました。
日本橋といえば、「日本国道路元標」が鎮座する日本の道路の始点と定められている場所です。そんな場所を自転車が通れないなんてことがあるのか?と。
確かに初期の東京大阪タイムトライアルの記録を確認してみると、東京側は日本橋ではなく「皇居前」だったり「東京駅前」だったりしています。日本橋が登場するのは1982年から。
こちらの画像は1982年に「大阪→東京」を19時間59分で駆け抜けた井手一仁さんがテレビに取材された時のものです(関連記事: 耐久ランのレコードブレイカー・井手一仁氏の記録)。
井手さんのお宅にお邪魔してインタビューをしたときに見せていただいた映像では、日本橋にゴールしていました。背景が流れてしまっているので分かりにくいですが、これは日本国道路元標(レプリカ)前です。
テレビで違法行為をわざわざ流すとは思えませんし、少なくとも1982年段階では自転車で日本橋を通行することには問題がなかったようです。
藤田さんがチャレンジした1970年頃には自転車通行禁止で、井手さんがチャレンジした1982年段階では規制が解除されていた……この間に何があったのか? 調べてみることにしました。
日本橋の自転車通行禁止に関する調査
「日本橋が自転車通行禁止だったことはあるのか」について調べました。
とりあえず検索
何をおいても、とりあえずは検索。
「日本橋 自転車通行禁止」「日本橋 自転車 通れない」といったキーワードで調べてみましたが、それっぽいデータは出てきません。それどころか引っかかるのは自分のサイトばかり……まぁ、日本橋と自転車と通行禁止ってキーワードでこのサイトが出てくるのは仕方がない。
そこでキーワードを変えて、「日本橋 1970年」というワードで検索した所、ある画像に目が釘付けになりました。
「【1970年】東京・日本橋(昭和45年)▷日本橋・国分ビル・都営電車」というページに貼られた写真を見ると、日本橋の高架下を路面電車が走っているではありませんか。
都電が通っていた日本橋
調べてみると、これは「都電」であることが分かりました。現在でも「都電荒川線」が残っていますが、あの都電です。
1970年当時の日本橋には「都電本通線」を始め、いくつかの路線が通っており、かなりの頻度で行き交っていたというのです。
【路面電車シリーズ】のラスボス・東京都電が最盛期だった頃の路線図をつくりました。
運行系統の多さはさすが首都!! このスペースに収めるのに大苦戦(^^;)
ちなみに32系統・27系統の一部が、今の「都電荒川線」です。#カオス路線図 #路面電車 #都電荒川線 pic.twitter.com/cMfxHJZ1Rx
— カオストレイン (@chaostrain) March 10, 2020
こちらの方は1962年当時の都電の路線図を現在の書式で再現されています。都内は隅々まで都電が張り巡らされ、当時のメインの交通手段だったことが分かります。
日本橋を拡大してみると、なんと6系統7路線という過密区間であったことがわかります。
ところが、警視庁は6月に軌道敷内の自動車の乗り入れを決定。都電はこれをきっかけに交通渋滞へ巻き込まれ、定時運行が困難になってしまいました。
以降、「路面電車は都市に不要」という世論の高まりを受け、廃止の流れは加速していきました。
結局、1972年11月に現在の都電荒川線を残して、他の都電の路線は全て廃止となりました。日本橋を通る路線はこの1972年11月までは残ったとのことです。
以上より、藤田さんが大阪→東京に挑戦した1969年、東京→大阪に挑戦した1970年当時、日本橋は都電が通っていたことが分かりました。
「この都電の影響で、当時の日本橋は自転車が通行禁止になっていたのではないか?」と仮説を立て、その証拠を探すことにしました。
日本橋に自転車通行禁止の標識を発見
画像を色々検索していくと、1枚の画像に行き当たりました。
下記は、都電7000形引退を記念して2017年に発行された「さよなら都電7000形記念バス」のイベント用画像です。
こちらの画像の左上に「さよなら7000形」という黄色いマークがありますが、その右下に自転車通行禁止の標識が確認できます。
ちょっと解像度が低いですが、こちらの標識に間違いは無さそうです。
こちらの写真は、先程の写真の切り抜き元画像で、より広い範囲が写っています。この写真の場所と撮影方向を推定してみます。
都電の後ろに「駿河銀行」が見えます。これは、現在も存在する「スルガ銀行 東京支店」です。つまり、この写真は現在の「日本橋交差点」から北方向を向いて、日本橋を撮影した写真ということになります。
ストリートビューで場所を示すと、この画角になりますね。スルガ銀行、本当にそのまんまの場所にありますね……。
また、Youtubeにアップされているこちらの動画の0:34の場面を確認すると、恐らく同じ場所に置かれた自転車通行禁止の標識を確認することが出来ます。こちらの映像は1972年の都電撤去直前のものとのこと。
以上から、1972年までは日本橋は自転車通行禁止であったことが分かりました。この交通量と都電の頻度を考えると無理もないことでしょう。
都電の写真集で更に分析
では、日本橋からどの辺りまでが自転車通行禁止だったのか?
さらなる資料を求めて、都電の写真集を買ってしまいました。日本橋を通る路線が含まれています。結構高かった……。
しかし、その甲斐はありました。
こちらの写真は、日本橋より1.2kmほど国道15号を南に下った銀座通り口交差点から、京橋方面を撮影したものです。この写真も、信号の下に「自転車通行禁止」の標識が確認できます。
これよりさらに南の写真は発見できませんでしたが、恐らく当時も繁華街であった銀座の南端くらいまでは自転車通行禁止の区間があったのではないか……と私は推測しています。
いつ自転車通行禁止が解除されたのか?
では、この規制はいつ解除されたのか?
1972年段階では規制があり、1982年には解除されていたことは確かめられました。その間の10年間のどこかで解除されたということです。
それについての資料はまだ発見できていませんが、都電の廃止(1972年11月)と同時という説が有力ではないかと思われます。都電がいなくなれば少なくとも1車線は開くわけで、路肩の確保は可能になったのではないでしょうか?
この説が事実だとすれば、1973年に挑戦した橋本治さんは日本橋スタートでも問題がなかったことになりますが、彼は「藤田さんと条件を合わせたかった」らしく、皇居前スタートにしたようです。
まとめ
まさか「日本橋を自転車で渡れない時代」があったなんて、想像もしていませんでした。
確かに言われてみれば、1969年の初挑戦当初から「国道1号線をどれだけ早く走れるか」を試していた挑戦者たちが、国道1号の始点たる日本橋ではなく皇居前からスタートしていたのは不自然でした。
なぜ1970年代の東京大阪TTは日本橋スタートではなかったのか? その理由が「日本橋が自転車で渡れなかったから」であったことを知れたのは良かったです。
人に歴史あり、道に歴史あり。今回の調査で改めて思い知りました。
あと、都電の写真集、結構面白かったです。電車にはあまり興味がなかったのですが、都心を路面電車が走る風景がなかなかシュールで。東京在住の方には面白いと思います。
著者情報
年齢: 38歳(執筆時)
身長: 176cm / 体重: 82kg
自転車歴: 2009年~
年間走行距離: 10000~15000km
ライドスタイル: ロングライド, ブルベ, ファストラン, 通勤
普段乗る自転車: BIANCHI OLTRE XR4(カーボン), QUARK ロードバイク(スチール)
私のベスト自転車: LAPIERRE XELIUS(カーボン)
# 乗り手の体格や用途によって同じパーツでも評価は変わると考えているため、参考情報として掲載しています。
# 掲載項目は、road.ccを参考にさせていただきました。